東日流外三郡誌①~日本史上最大の偽書・胸躍る東北の物語~

645年、中大兄皇子は蘇我入鹿を討ちました。
1185年、現在の山口県の壇ノ浦で源氏が平氏を破りました。
1582年、京都にある本能寺で明智光秀は織田信長を討ちました。
現在、当たり前のように誰もが知っている歴史上の出来事を真実だと証明するにはどうすればいいでしょう・・・?
もちろん見た人はいませんよね。
しかし、これらの出来事が限りなく真実であることを皆さんはなぜ知っているのでしょうか。
それは書物などに記録があるからです。
人々は歴史の中で様々な出来事を記し、残してきました。
そして、同時に人々は歴史を知るために、それらの残された書物を研究してきました。
書物は長い年月を超えて伝わる手紙のように、過去にあった様々な出来事を後世に伝え続けてきたのです。
でも、もしそれらの残された書物が「ニセモノ」だったらどうしますか?
今回ご紹介するのは「東日流外三郡誌」
世間を騒がせた日本史上最大の偽書事件についてまとめてみました。
ちなみに、この記事には正しくない歴史の描写がかなりあるので、それを忘れずに読んでくださいね!
こぶた
なんか何も信じられなくなりそうだね・・・
ぶたちく先生
大丈夫!歴史の研究者たちはとても優秀な人達ばかりだからね!

東日流外三郡誌

和田家文書

第二次世界大戦後、青森県の五所川原市にある古民家から、たくさんの古文書が出てきました。
この古民家に住んでいたのが「和田」という人物です。
そのため、これらの古文書を「和田家文書」といいます。
和田家文書はかなりの量がありましたが、その中にあったもののうち最も有名なものが今回取り上げる「東日流外三郡誌」というわけです。

誰が書いたもの?

「東日流外三郡誌」・・・全く読めないですよね。
読み方は「つがるそとさんぐんし」といいます。
五所川原市は青森県の津軽半島の付け根あたりに存在する町です。
近隣には、十三湊、旧車力村、三内丸山遺跡など、非常に歴史上重要な遺跡や神社もあります。
東日流外三郡誌は、18世紀から19世紀にかけて、秋田孝季(あきたたかすえ)と和田長三郎吉次(わだちょうざぶろうよしつぐ)が日本中をくまなく歩き、各地の伝承や文書を収集しそれを編集した書物です。
みなさんご想像のとおり、和田吉次は発見者の和田氏の先祖にあたる人物です。

偽書と言われる

では、この東日流外三郡誌には何が書いてあるのでしょうか。
この書物には、古代の青森県、岩手県、秋田県などの誰も知らない歴史がたくさん記載されています。
そう、この書物、本来であれば、歴史的な大発見に該当する文書なのです。
しかし、この文書は、現在に至るまでも「偽書」と判断されています。
結論から言えば、東日流外三郡誌は「発見者の和田氏が全て戦後に書いたもの」という見方が非常に強くなっています。
こぶた
えー!?全部自分で書いちゃったの?
ぶたちく先生
歴史の内容自体は否定しきることはできなくても、文書そのものは和田氏が書いたと考えられているよ!

ストーリー

結論

少しだけストーリーをお話しします。
ただ、まじめに見ていると皆さんが習う歴史との矛盾が出て、わけがわからなくなるので、あまり深く考えないでくださいね。
最初に結論だけ書いておくと、
古代の日本で、東北に王朝があり、それが今の日本のルーツになっているみたいな感じです。
本当だったら歴史がひっくり返りますよね・・・
では行きましょう。

アソベとツボケ

大昔、津軽地方には「阿蘇辺族(アソベ族)」が居住していました。
そこに「津保化族(ツボケ族)」がやってきて、縄文的な生活を確立していきます。
ちなみにツボケ族は大陸から海を渡ってきた人々です。
しかし、岩木山が噴火
アソベ族の王国は全滅し、ツボケ族の王国に統合されることになります。

荒覇吐王国

そのころ、日本内は戦国時代の様相を呈しており、王国が乱立していました。
そんななか、日向の佐怒王が動きます。
佐怒王の読み方は「さどおう」か「さぬおう」か判断つきませんが、初代天皇である神武天皇のことと思われます。
日向は現在の宮崎県のことですね。
佐怒王が東征を始めると、14年間にわたる戦闘の末、近畿にあった邪馬台国を破ります。
邪馬台国の王であった安日彦(あびひこ)と長髄彦(ながすねひこ)が津軽に亡命。
2人はツボケ族と合流し、新たに東北に荒覇吐王国(アラハバキ王国)と樹立します。
そして、この荒覇吐王国こそが奈良時代に「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人々でした。

荒覇吐王国、倭国を滅ぼす

荒覇吐王国は南下を開始します。
なんと、紀元前214年には、荒覇吐王国の武波日彦王(タケハヒコオウ)の代には倭国を滅ぼします。
さらに、倭国王として、根子彦(ネコヒコ)を即位させます。
しかし、武波日彦王と荒覇吐族の長老が対立、ついに決別し、倭国王朝を新たに成立させます。
なぜ滅ぼした国の名前で国を建てるのか・・・
とりあえずこれ以降、日本は、荒覇吐族などがいる東の日高見国(ひたかみ)と西の倭国に分裂。
さら倭国は日本国と改称し、日高見国の人々を蝦夷と呼ぶようになります。

日本は続く

日本国はこの後も東征を繰り返します。
平安時代までには青森県以外の東北全域を平定。
荒覇吐族の王は「安倍氏」と名を改めたものの、前九年の役で源氏に敗北します。
荒覇吐族は新たに、安東氏を興します。
安東氏は江流末郡(えるまぐん)、馬郡(うまのぐん)、興法郡(おきほぐん)の東日流外三郡を領地とする豪族となりました。
安東氏は十三湊を起点に海上貿易を行い、繫栄。
元寇の際には安東氏の水軍は大活躍しました。
1341年、大津波により十三湊は壊滅。
荒覇吐時代から続く文書や遺跡は全て海の底へ沈み、さらに南部氏が侵攻してきて安東氏の一族は分裂してしまいました。
こぶた
いや、もうだいぶ色々おかしいような・・・
ぶたちく先生
ふふふ・・・まぁ我々が学んだ歴史とは大きく違うからね・・・次回の記事ではもっといろいろな不思議を挙げていくよ!