ドイツの分断と冷戦の始まり~ドイツの敗戦と東西ドイツの建国~

ドイツの「ベルリンの壁」を御存じの方は多いでしょう。
ベルリンの壁はベルリンという都市を分断する壁でした。
ベルリンは西ドイツの占領する西ベルリンと、東ドイツが占領する東ベルリンに分かれていたのです。
そして西ベルリンは東ドイツの中にポツンと存在する「飛び地」でした。
今回は第二次世界大戦終結からベルリンの壁ができる前までのドイツの歴史についてまとめました。
こぶた
ベルリンの壁が西ドイツと東ドイツの国境だったんじゃないの?
ぶたちく先生
それも間違いではないよ!ただ、あくまでベルリン地区内での国境だったんだ!

決められていた分割統治

ドイツの降伏とヤルタ会談

1939年、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦
しかし、ドイツは壮絶な戦争が進むにつれて劣勢になります。
そして、ナチス・ドイツの象徴でもあったアドルフ・ヒトラーは、1945年4月30日、地下壕で自殺しました。
約1週間後の5月8日、ドイツは連合国に無条件降伏、ドイツの戦争は終結します。
連合国側は、1944年に英米ソ間で「ベルリン」を共同占領する取り決めをしていました。
ドイツ降伏前の1945年2月に、クリミア半島のヤルタで戦後のドイツを米英ソにフランスを加えた4か国で分割管理することを決めます。(ヤルタ会談)
つまり、ドイツ降伏時には
「ドイツを分割占領する」
「ベルリンを分割占領する」
という2つの約束があったことになります。

ポツダム会談とソ連の占領

ドイツ降伏後、連合国はあらためてポツダムでドイツ占領について話し合います。(ポツダム会談)
そこで、英米仏ソの4か国でドイツを分割占領することを確認します。
この結果、1871年のドイツ帝国成立以来、ドイツの首都であり続けたベルリンの町も、約束通り4か国に分割占領されることになったのです。
しかし、この分割統治には問題がありました。
実は、ドイツ降伏の前の最後の戦いであった「ベルリンの戦い」で、ソ連は他の連合国に先んじてベルリンを占領していたのです。
そればかりでなく、ドイツ降伏時にソ連の侵攻はすでにベルリンを突破していました。
つまり、ドイツの東側から侵攻したソ連はベルリンを超えてドイツを占領下に置いていたにも関わらず、事前に「ベルリンは戦勝国で分割占領する」という取り決めがあったために、ソ連の占領する土地に囲まれた首都ベルリンを米英仏ソの4か国が分割統治するという事態が起きたのです。

飛び地になった西ベルリン

ややこしいのでここからはベルリンのうち、英米仏の占領する地域を「西ベルリン」、ソ連の占領地域を「東ベルリン」とします。
さらにドイツ全土のうち英米仏の占領地域を「西ドイツ」、ソ連の占領地域を「東ドイツ」とします。
西ベルリンは東ドイツで「飛び地」になったのです。
当時のトルーマン米大統領はソ連のスターリンに西ドイツと西ベルリンをつなげるルートの確保を要請します。
しかし、ソ連はいい返事をしません。
これでは米英仏はベルリンに到達できないので、ソ連も交通手段を限定したルートのみ通行を承認します。
結局、英米がベルリンに進駐したのは1945年7月4日、仏は同年の8月12日になってからでした。
英米仏が進駐する頃には、ソ連がすでに占領政策を行っていました。結果として、ベルリン地区内で二つの占領政策が対立し始めるのです。
こぶた
東ドイツの中で西ベルリンがポツンとあるってことだよね!
ぶたちく先生
そうなんだ!このことが対立をどんどんややこしくしていくんだ・・・

ベルリン封鎖と進む分断

通貨の発行合戦

西ドイツと東ドイツの対立は、どんどん激化します。
1948年には英米仏の3か国がベルリンの占領地帯を統合し(西ベルリン)、「ドイツマルク」という新しい共通通貨を発行することを決めます。
そうなると、西ベルリンでは旧マルクが使えなくなります。
西ベルリンで使えなくなった旧マルクは東ベルリンに大量に流れ込みます。
旧マルクが溢れて、通貨価値が下がった結果、インフレーションが発生。ソ連は対抗して独自のドイツマルク(東ドイツマルク)を発行します。

西ベルリンを孤立させる(ベルリン封鎖)

さらにソ連は西ベルリンと西ドイツを結ぶ陸路をすべて遮断します。
これは陸上交通の遮断にとどまらず、水道や電気と言ったライフラインまでも遮断することになりました。
西ベルリンは西ドイツから孤立してしまったのです。
しかし、英米は西ベルリンに物資を空輸することで対応します。
陸がダメなら空で、ということですね。
このベルリン封鎖は1948年7月24日から1949年5月12日まで続きます。
この1年弱の間、英米は西ベルリンに物資を空輸し続けたのです。

分断は進む

ベルリンが封鎖されている間、ベルリン市議会も東西に分裂します。
1949年4月4日、ソ連の軍事的脅威に対抗するため、北大西洋条約を締結します。
北大西洋条約はNATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟の根拠となっており、現在にも大きな影響を与えています。
ベルリン封鎖終了後の1949年5月23日には英米仏占領区域がドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立、同年10月7日はソ連占領区域にドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国されます。
ベルリン封鎖の間に、ドイツの分断は固定化されてしまったのです。

とどめの朝鮮戦争

このような状況の中、朝鮮戦争が勃発します。
朝鮮戦争は1948年に成立した韓国と北朝鮮間で起きた、朝鮮半島をめぐる戦いです。
とはいうもののこれは事実上米英をはじめとする西側諸国とソ連中国の東側諸国の戦いです。
この戦いはヨーロッパでも懸念が巻き起こります。
つまり、西ドイツと東ドイツも戦争するのではないか?
占領統治以来、西ドイツに軍隊はありませんでした。
しかし、朝鮮半島を受けて西ドイツ再軍備論が発生するのです。

西ドイツの再軍備

西ドイツの再軍備を米英は歓迎しますが、仏は反対します。
第二次世界大戦でフランスはドイツにパリを占領されていたので、ドイツの軍備が危険に見えたのです。
そこでフランスがある提案をします。
国家を超えた西ヨーロッパの軍を作らないか?
これを欧州防衛共同体構想といいますが、結局フランス議会が反対し、成立しませんでした。
しかし、最終的にフランスは西ドイツの再軍備を承認、さらにイギリスらが主導し、西ドイツをNATOに加盟させることを提案、これが承認されたのです。
そして、これに対抗するために1955年にソ連が発足させたのがワルシャワ条約、さらにワルシャワ条約軍事機構という軍事同盟が発足。
このようにドイツの統一は難しくなり、ドイツ国民の悲願になっていったのです。
こぶた
今のロシアとNATOの対立はこの時から始まったんだね・・・
ぶたちく先生
そうなんだ・・・次回はベルリンの壁の完成から崩壊までを説明するよ!