世界には197の国があります。
では、日本の皇室のような「王室」はいくつあるか知っていますか?
答えは27です。
その中でも日本の皇室は最も長い歴史をもっています。
もちろん、歴史が長いから貴いのだ、というつもりはありませんが、一つの王朝、王室を長く続かせることの難しさは、世界の歴史が証明しています。
他にはイギリス王室も長い歴史を持つことで有名ですが、実はイギリス王室は歴史の長さとしては3番目になります。
では第2位はどこでしょうか?
実は、日本の次に歴史の長い王室はデンマークの王室なのです。
意外だった方もいるのではないでしょうか?
日本にとっては少し縁の薄い感じがありますが、「マッチ売りの少女」や「醜いアヒルの子」で有名な童話作家・アンデルセンの生まれ故郷です。
デンマーク王国は南にドイツと隣接し、海の向こうには北にノルウェー、スウェーデン、西にはイギリスがあります。
人口わずか570万人のこの国は、20世紀の二つの大戦に大きく翻弄されました。
その2度の大戦中、国王だったのはクリスチャン10世。現在のデンマーク王である、マルグレーテ2世女王陛下の祖父にあたります。
今回はデンマーク王国とクリスチャン10世の2度の大戦のエピソードについてお話ししましょう。
長い前置きだったね・・・
ごめんよ・・・でもデンマーク王室はもとより、デンマークについてもあまり知らない人も多いと思ってね・・・
クリスチャン10世と第一次世界大戦
クリスチャン10世は1870年9月26日コペンハーゲンで生まれます。
1912年5月に父であり、前国王であったフレゼリク8世の後を継ぎ、国王に即位します。
最初の受難は1914年に始まった第一次世界大戦でした。
第一次世界大戦は「欧州大戦」とも呼ばれるように、ヨーロッパ中で戦争が起きました。
デンマークも他人事ではありませんでしたが、国としては中立の維持を方針とします。
クリスチャン10世も、イギリス国王にデンマークが置かれている状況について手紙を送るなど、懸命な外交努力をします。
結果的には、中立を維持したまま第一次世界大戦を乗り越え、被害は最小限にとどめることができました。
しかし、ヨーロッパ中で戦争が起こり、デンマークは不景気になったほか、ドイツが船舶を無差別に攻撃する「無差別潜水艦作戦」を行うなどしたため、貿易活動が大きく制限されました。
また、大戦中には、当時デンマークの植民地であった「西インド諸島」をアメリカに売却するなど、小国としての立場が明確になってしまいました。
戦争に参加したときに本土が戦場になるのを避けたのかな?
それもあるだろう。とにかく周りの国が戦争しているときに中立でいるというのも非常に難しいことなんだ。
第二次世界大戦と即時降伏
第一次世界大戦後、デンマークは世界恐慌を乗り越え、社会福祉政策を進めます。
そして1939年にはドイツと不可侵条約を締結します。
しかし、避けようのない2度目の受難が始まるのです。
1940年4月9日午前4時、突如ドイツがデンマークとノルウェーに侵攻を開始します。
デンマーク外務大臣はたたき起こされ、ドイツ公使から電話で最後通告を突きつけられます。
「イギリス、フランスからデンマークを保護するから抵抗するな」というものです。
首都コペンハーゲンの上空ではドイツの爆撃機が旋回していました。
要は抵抗すると空襲するぞ、というものです。
1時間後の午前5時にはクリスチャン10世も状況を知り、午前6時には降伏を決定します。
降伏の条件はデンマークの政治的独立の保持でした。
短時間での降伏決定。人によっては弱々しく映るかもしれません。
しかし、デンマークの土地はドイツと陸続きになっており、比較的平坦なため、抵抗しても勝ち目がないことは歴然でした。
また、当時のデンマーク内閣は、すでにイギリス・フランスと戦争していたドイツが軍事的に勝利すると考えていたため、ドイツが新しい秩序を築いたときに、デンマークの立場がよくなるという考えもありました。
こんなにすぐに降伏しちゃうこともあるんだね・・・
結果論だが、おかげでデンマークは焼け野原にはならなかった。ドイツも寛大な占領政策をアピールしたかったから当初の占領はあまり厳しくなかったのも幸運だったといえるね。
抵抗
しかし、デンマーク国民や国王クリスチャン10世はナチスドイツに抵抗します。
国を挙げて、ナチスドイツに抵抗するというのは、占領下の国では珍しいことです。
そこにはクリスチャン10世の確固たる意志があったのです。
毎日町に繰り出す国王の姿
ドイツの占領下、クリスチャン10世はほぼ毎日コペンハーゲンの町に出ます。
最小限の衛兵を伴って町に出ては、市民を励まして回る姿に、国民が勇気づけられました。
国王はドイツ兵から挨拶されても無視する一方、デンマーク国民には穏やかに接しました。
このような姿が、デンマークの抵抗について連帯を示す形になりました。
ヒトラーに冷たい
1942年、クリスチャン10世がヒトラーから誕生日を祝う電報を受け取ったときのことです。
ヒトラーはとても長い電報を送ったのですが、国王の返信は一言でした。
「ありがとう」
ヒトラーは激怒し、在ドイツのデンマーク大使を追放し、さらにはデンマークの内閣を追放しました。
電報を渡す側もヒヤヒヤするでしょうね・・・
ユダヤ人
ナチスドイツのユダヤ人迫害の一つとして、ユダヤ人には「ダビデの星」の腕章をつけさせるようにしていたのは有名な話です。
しかし、クリスチャン10世はデンマークのユダヤ人に対してこの腕章をつけることを要求してきたドイツに対し猛抗議、それを許しませんでした。
そのような国王をみてかどうかわかりませんが、デンマーク国民はユダヤ人を守ろうとしました。
ナチスドイツがデンマークにいるユダヤ人の移送計画があることを知ると、全国規模でユダヤ人を国外に逃がす活動をします。
人々はユダヤ人を教会や家にかくまったり、漁師たちは船でユダヤ人をスウェーデンに移送し、国外脱出の支援をしたといいます。
当時ユダヤ人の人をかくまったりするとヤバかったんじゃないの?
かなりやばいね。不屈の心とデンマーク国民であるという矜持がみんなを一つにしたのだと思う!
最後に
いかがでしたか?
1945年、ドイツ降伏後は、ナチスドイツに抵抗した国として解放され、独立を回復しました。
クリスチャン10世は二つの大戦を乗り越え、ナチスドイツに抵抗した国王として、デンマークで最も愛される国王の一人になりました。
クリスチャン10世は1947年、76歳でこの世を去ります。
大戦後にデンマークがドイツから独立するのを見届けたかのようですね。
現代の国王はほとんどが政治的な権力はなく、「君臨すれども統治せず」のように象徴としての役割が大きいです。
しかし、災害も含めた有事の際には存在感を増し、国民の心を一つにする力を持っているのかもしれません。
今のデンマーク国王マルグレーテ2世女王陛下もまた同じように国民に人気があり、愛される王様です。
デンマーク国民に何かあったら、また国民の心を一つにするでしょう。
参考:デンマーク大使館