77年前に終結した第二次世界大戦。
それは月日が流れても人々が多くを考えさせられる出来事です。
しかし、特に若い人からすれば遠い昔のことでもあり、例えば、2015年の調査では、原爆投下の日を答えられる人は3割に満たないそうです。
そして今回取り上げるアドルフ・ヒトラーについても、「極悪人」という認識はあっても、詳しいことは知らない人も多いのではないでしょうか。
ヒトラーが行った悲惨な行為を取り上げたコンテンツは非常に多いですが、あえてこの記事ではヒトラーが若いころどんな人物だったのかをまとめてみました。
確かに、ホロコーストとか以外知らないことが多いかも・・・教えて!ぶたちく先生!
任せなさい!ヒトラーという人物像をイメージしやすくなるといいね
ヒトラーの生まれと家族
アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、税官吏の父・アロイス・ヒトラーと母・クララの間に生まれました。
生まれたのは、当時のオーストリア=ハンガリー帝国のブラウナウという町です。
あまり知られていませんが、とても意外なことにヒトラーはオーストリア人です。(後にドイツ国籍を取得)
兄弟はたくさんいますが、小さい頃に亡くなった子も多く、ヒトラーは11歳の時にヒトラー家唯一の男子になります。
小学校のときから絵描きになるという目標を持っていました。しかし、父・アロイスは非常に厳格な人で、そんなヒトラーの絵描きになるという目標を許しませんでした。
アロイスはアドルフに官吏(役人)になって欲しかったそうです。こんな家庭は現代でもありますよね。
しかし、ヒトラー家が違うのは、父からの暴力が日常的にあったことです。特にアドルフが悪い成績をとったときなどは、血がにじむまで暴力を受けていたといいます。
オーストリア人なの!?ドイツ人だと思ってた・・・
これを知ったときは先生もびっくりしたよ・・・
ヒトラーの学校生活
ヒトラーは好きなことはとことん勉強するが、そうでなければまるっきり勉強しない性格でした。地理や世界史の成績はいいのに数学は全くダメ・・・そんな感じです。
結果的に中学校では留年し、転校して通うことになったシュタイアー実技学校でも勉強に身が入らず、趣味の絵画や読書に没頭し、最後は中退してしまいます。
特に中学校では、田舎者だと仲間外れにもされていたこともあったようです。
ちなみに、ヒトラーは実技学校時代に、学期が終了したときに、その解放感から居酒屋で酔っ払い、持っていた成績表をトイレットペーパー代わりにするという大失敗をしました。
結果的に校長先生に叱られて、以後はお酒を飲まなくなったと回想しています。
やっぱりかなり変わった学生だね・・・それにしても成績表でお尻を拭くなんて・・・
片鱗を見せてきたね・・・ヒトラーはこの1件でお酒が怖くなったと回想しているよ
ヒトラーの初恋
ヒトラーはリンツの町ですれ違った女性に恋をします。
通り過ぎるときに、会釈を返してくれた時には「彼女は僕を好きに違いない」と友人に言い、妄想を膨らませました。
また、その女性がほかの男性と話しているのを見かけると、友人にその男性の悪口を延々と言っていたそうです。
友人から「まだ一度も話したことないだろう」と指摘されると、「直感で分かり合っているから言葉など必要ない。」と突っぱねました。
しかし、やはり困って、友人にどうすればいいか尋ねたところ、「話しかけて自己紹介するんだ」と後押しされます。するとヒトラーは「職業を聞かれたらどうするんだ!私はまだ画家になっていない!」と逆上し、「ウィーン美術アカデミーで学び画家になり、求婚する」と宣言します。さらに、その友人に彼女のことを調べて欲しいと頼みました。
友人は彼女の名がステファニーで、年齢はヒトラーより2歳年上、婚約者がおらず、ダンスが好きと突き止めます。そして進展のためにヒトラーにダンスを習うよう勧めます。
ダンス嫌いのヒトラーは悩んだあげく、なぜか「彼女を誘拐する!」と宣言します。びっくりした友人は「で、そのあとはどうするんだ?」と尋ね、ヒトラーは誘拐を取りやめます。
またある時には、すれ違いざまに顔をそむけられたとショックを受け、「ドナウ川に飛び込んで彼女と心中する!」と宣言し、計画を立てますが、後日彼女に微笑みかけられて中止しました。
最終的にヒトラーはステファニーを諦めますが、友人に内緒で彼女に手紙を送っていたそうです。しかし、なぜか匿名だったようで、ステファニーは「手紙はもらったことはあるが、匿名でどうしたらよいかわからなかった」と回想しています。
・・・うん、だいぶ怖いね・・・
単純だし、かなり思い込みが激しく、プライドが高いね。でも世の中の男性は当てはまる人は結構いるかもしれないよ
ヒトラー画家を目指す
18歳の時、小さい時からの夢である絵描きを目指し、ウイーンに移住します。
現在も続く「ウィーン美術アカデミー」を受験しますが、1次試験に合格するものの、2次試験で不合格。
納得いかなかったヒトラーは学長に直談判しますが、「向いていない」と断言されます。うなだれたヒトラーに学長は建築士になることを提案し、ヒトラーは数日後には建築士になると決意します。
しかし学歴を要する建築士には、小学校しか卒業していないヒトラーはそれが不可能だと悟ります。
翌年またアカデミーを受験しますが、次は1次試験すら不合格になります。さらに母・クララの死去も重なったことからか、友人や親戚の前から姿を消します。
小さい頃からの夢がかなわず残念・・・夢を叶えていたら歴史は変わったかもしれないね・・・
この後、ヒトラーは自分の書いた絵葉書や絵を売って生計を立てていて、インターネットでヒトラーの描いた絵を見ることができるよ!
最後に
いかがでしたでしょうか。
ヒトラーの人となりがなんとなく見えてきますよね。
これだけ見ると、プライドが高く、シャイで、思い込みが激しい青年のだったようです。
文章から想像できませんが、この先、ヒトラーは反ユダヤ主義に傾倒し、ドイツのトップに立つことになります。
今回は芸術家の夢をあきらめるところまでですが、機会があればその後のヒトラーを書きたいと思います。
最後にヒトラーが書いた絵を載せておきます。