「魔女」と聞いて、どんな魔女を想像しますか?
ホウキにのって宅急便業を営む、黒猫を連れた可愛らしい女の子でしょうか?
森の奥深くの小屋で、大きな鍋で何かをグツグツ煮込む老婆でしょうか?
魔女は映画やゲームなどに頻繁に登場し、ハロウィンでは魔女の仮装をする人もいるでしょう。
魔女は魔法を使い、人間にはできないことをやってのけます。
そんな魔女を「かっこいい!」と思う人も多いのではないでしょうか。
今ではみんなが一度はなってみたい「魔女」ですが、「魔女」となることを何よりも恐れた時代がありました。
その魔女の多くは、魔法も使えず、自分は魔女ではないと叫んでいたのです。
場所は中世のヨーロッパ。
そこで「魔女」とされた人は壮絶な迫害を受けていたのです。
今回は、魔女の歴史とその迫害についてまとめてみました。
なんか「お前は魔女だ!」なんてバカバカしいと思うけど・・・
そんなことはないんだ。大昔から魔女の存在は信じられていたんだよ!
古代からいた魔女
記録上において、最初に魔女に対する弾圧があったのは、紀元前1200年のエジプトです。
その他、紀元前4世紀のギリシャでも魔女の処刑の記録が残っています。
大昔、現代では当たり前のことが、必ずしも当たり前ではありませんでした。
なぜ、干ばつが起きて不作になるのか
なぜ、疫病が流行するのか
なぜ、病気になるのか
なぜ、死ぬのか
どんな時代でも、人々はどうしようもない現実に直面しては、その理由を探ってきました。
人間にとって「わからないこと」は恐怖なのです。
そして、多くの「わからないこと」は呪術、呪い、神の怒り、など様々なことで理解しようとしてきました。
魔女もその中の一つ。魔女の使う魔法や呪術だと考えれば、わからないことでも納得できたのでしょう。
逆のパターンもあります。
病気がなおった
天候がよく、農作物が無事収穫できた
このようなことも、不思議な力を持つ魔女が行った、と考えらることもありました。
例えば、3世紀から4世紀、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝は呪術を禁止する法令を出します。
しかし「病気を治したり、天候から作物を守るための呪術はいいけどね!」との布告も続けて出したのです。
このように、古代の魔女に対する取り締まりは「悪い呪術はだめだけど、みんなのためになる呪術はいいよ!」という視点で行われていました。
さらに、処刑された魔女がいる一方で、処罰の大半は「一生懺悔しなさい」とか「次やったらカトリックから破門にしちゃうよ?」など、比較的寛容なものでした。
魔女の存在が前提なら普通の考え方ともいえるよね!
そうだね!これが中世ヨーロッパには恐怖の政策に変わってしまうんだ・・・
迫害の始まり
14世紀頃から、魔女に対する考え方が急激に変化します。
魔女は「呪術を行う者」という存在から、「悪魔と契約を交わした者」と定義を変えていくのです。
そこには、異端審問という制度と、魔女狩りを正当化するためのローマ教会の思惑がありました。
背景
12世紀頃から、異端審問という制度が始まります。
「異端」とは、キリスト教徒でありながら、「正しい教え」を守らずに、違った考え方をする人たちのことです。
異端者は、ローマ法皇の強大な権力を否定したり、聖職者を否定したりしていました。
ローマ法皇は強大な力を持っていましたが、権力行使の邪魔をする異端の存在は非常に面倒だったのです。
そこで考えられたのが、異端審問の制度です。
これにより、異端を尋問・処罰する権利を教会・聖職者に与え、異端審問官を置いたのです。
さらに、異端者を告発する義務を教徒に課しました。
特に、小さな子が親を告発することは奨励されたと言います。
つまり、「ローマ教会に従わない者をあぶりだして処罰する」ということが最大の目的でした。
魔女狩りの始まり
異端審問の制度が始まったとき、魔女はまだ「異端」には入らないとされていました。
しかし、1318年、ローマ法皇史上、最も残忍と呼ばれたヨハネス22世が特定の聖職者に対し、ある教書を出します。
「魔女裁判の開始、判決に関する権能を与える」
この教書をきっかけに、魔女狩りを強化する法令を連発します。
さらに、魔女狩りの正当化のため、「魔女は悪魔と契約を交わしているから異端である」と吹聴したのです。
これ以降、異端審問官は魔女狩りを開始し、迫害が始まりました。
権力を維持するために自分たちに逆らう人たちを迫害したの?
残念ながら多くの権力者がたどる道だね・・・
魔女裁判と拷問
このようにして、魔女は「異端」とされ、異端審問の対象となります。
つまり、魔女に対して行われた異端審問の延長が「魔女裁判」となったのです。
魔女裁判
多くの場合、魔女裁判の対象となったのは、魔女であるという「うわさ」がある者でした。
めちゃくちゃですよね・・・
今となっては全く逆の発想ですが、魔女の罪は「立証困難」だったためです。
魔女であることを証明できないので、噂があれば魔女であるということにしたのです。
裁判では弁護士を付けることができました。
しかし、裁判官に同調しない弁護士は許されませんでした。
さらに異端を弁護すると破門されるうえ、弁護人までも異端とされました。
弁護の意味全くないし、誰も引き受けないですよね・・・
最終的に被告を有罪とするためには自白を取る必要がありました。しかしほとんどの場合は魔女という身に覚えのない言いがかり。自白も何もないのです。
そこで行われたのが・・・そう、拷問です。
魔女に対する拷問
魔女に対する拷問は裁判官や異端審問官が行いました。
最初の尋問は
「魔女になってから何年経つか?」
「なぜ魔女になったか?」
「魔女集会にはだれが出席したか?」
といったことを聞くのですが・・・
先ほど書いたように、答えようがないんですよね。
だって魔女じゃないから。
そこで裁判官は、自白をとるため、魔女に対する厳しい尋問、つまり拷問を開始します。
答えようのない尋問の連続、想像を絶する苦痛の末、逮捕された魔女たちはこう思うのです。
「死んだほうがマシ」だと。
判決
このようにして、自白した魔女は有罪判決を受けます。
そして、魔女の罪は例外なく火刑。
しかし、この火刑にも2種類ありました。
それは、
①絞首刑で死亡後に焼かれる
②生きながら焼かれる
自白した魔女は絞首刑で死亡後に焼かれるため、多くの人は無実のまま自白したそうです。
それほどまでに拷問は厳しく、絶望の中「せめて死んでから焼いて欲しい」と考えたのです。
裁判なんて名前だけで、目的はあくまでも権力の維持や見せしめなんだね・・・
魔女と呼ばれた人にはなんの選択もできない・・・ただただ苦しみながら死んでいったんだ・・・
魔女裁判に抗議した者
当時、絶対的な力を持っていたローマ教皇
これらの不当な魔女裁判に文句など言おうものなら、異端と扱われる・・・
もちろん、言い出せない者がほとんどでした。
リスクでしかなかったからです。
しかし、これらの裁判に抗議した者もいたのです。
ドイツ人のフォン・シュペー
彼は1631年「裁判官への警告」という抗議書を書きます。
その中で、
「幸不幸の運命を、魔女のせいにする」
「あらゆる責任を魔女が引き受けさせられた」
のだと言っています。
彼は魔女の存在を否定したのではありません。ただ、魔女裁判に関する不正について糾弾し、罪もない人が殺されているという状況を抗議したのです。
この状況で抗議できるなんてすごい!
彼は多くの人に寄り添って直接話を聞いたんだ。無念を晴らしたかったのだろう。
最後に
17世紀頃から、魔女裁判は衰退していきます。
これは、特に魔女裁判のおかしさに世間が気づいたとかそういうことではありません。
考えられる理由は、17世紀頃から、ガリレオ、ニュートン、といった現代的知性の持ち主の登場により、世間の魔女に対する見方が変わったこと。
他には、ローマ教会が異端の弾圧をして統制をとる必要がなくなってきたこと、などが考えられます。
どちらかというと時代の変化という感じでしょうか。
もちろん、魔女裁判により、数万人の無実の死者(正確な人数について諸説あり)が居たことは変わりない事実です。
最後の魔女裁判は18世紀末期。
魔女とされた人々の多くは、裕福ではなく、コミュニティから孤立した人が多かったそうです。
個人的には、「悪者にしやすかった人」を魔女にしていたのではないか、と思います。
仲良しの人、利害関係がある人って悪者にしにくいですよね・・・
でもこんなことって身近にないですか?
攻撃しやすい人を攻撃してる人って周りにいませんか?
いじめやすい人をいじめてる人って周りにいませんか?
現代にも通じるような人の心理に、魔女狩りが500年近く続いた理由があるような気がしています。
2000年には当時のローマ法皇ヨハネ・パウロ2世が魔女狩りについて正式に謝罪しました。
魔女狩り自体はまだアジアや中東において行われています。
魔女そのものがいるかどうか、という議論は難しいです。存在の証明も不存在の証明もできないですから。
ただ少なくとも無実の人が理不尽に罪に問われるようなことがないようにと願うばかりです。