大正時代、一般的な主婦の家事労働時間は1日約12時間だったそうです。
現代の家事が楽とは言いませんが、電化製品がほとんどなかったことを踏まえると、かなりの肉体労働だったと考えられます。
これが1年間ほぼ休みなく続くので、厚生労働省が定めた「過労死ライン」もなんのその。
日本のお母さん達は働きまくっていました。
その中でも今日取り上げるのは洗濯。
現代の洗濯機は洗濯物を入れてボタンを押すと、あとは干すだけというところまでやってくれるものが多いです。
家庭によっては乾燥機能がついており、洗濯機に入れたらあとは畳むだけ、というところもあるでしょう。
それが洗濯機のない時代はどうだったかを考えると本当にぞっとしますよね。
今日は日本の洗濯史についてまとめてみました。
洗濯物集めて、洗い場までもっていって、一枚ずつ洗って、干して、取り込んで、畳む?
うん、ほぼ毎日ね・・・考えただけで大変だよ・・・
江戸以前「頼りは自分の腕と知恵」
昔話の冒頭で、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に・・・」とよく耳にすると思います。
これはその通りで、江戸時代以前は川で洗濯することが多かったそうです。
近くに川がない家は井戸で洗濯をしていました。
洗濯板とタライで洗濯する姿が頭に浮かびますが、この頃はまだ洗濯板が日本に伝わっていません。
つまり、桃太郎に登場するおばあさんも洗濯板を使わずに川で洗濯をしています。
洗い方は、タライの中でもみ洗いをしたり、足で踏み洗いしたり、川では岩にたたきつけたりして汚れを落としました。
石鹸は安土桃山時代に日本に伝わっていましたが、高級品。
庶民は、お米のとぎ汁や灰汁(あく)を使って衣服を洗っていました。
洗濯はかなりの重労働だったので、江戸時代には洗濯を生業とする「洗濯女」という職業も存在しました。
お米のとぎ汁で汚れが取れるの?
当時はまだ油汚れが少なかったから、石鹸を使わなくても十分汚れは落ちたそうだよ!
明治以降「洗濯板は画期的な商品です」
明治以降もしばらくは江戸時代までのような洗濯方法がとられます。
しかし、幕末頃に日本に伝わったとされる画期的なアイテムが洗濯を少し楽なものにします。
それは洗濯板。
洗濯板の何が画期的なんだと思う方も多いと思います。
洗濯板は表面のデコボコ部分に洗濯物をこすりつけて使うものです。
洗濯板を使えば手もみ洗いや踏み洗いをするよりもはるかに早く、きれいに仕上がります。
もちろん、このころ普及しだした石鹸も無関係ではないでしょう。
しかし、今でこそ原始的な感じがする洗濯板も、洗濯の負担を軽減する画期的な商品だったのです。
洗濯板が発明されたのは18世紀のヨーロッパ。
結構新しいものですね。
日本で一般的に利用されるのはさらに大正時代まで時間がかかります。
結局、洗濯板は電気洗濯機が普及する昭和中期頃まで利用されました。
洗濯板って大昔から使われているイメージがあったよ!
日本のものだと思ってたから海外発祥なのも結構驚いたけどね・・・
大正「手動洗濯機の登場」
洗濯板が庶民にまで普及し始めた大正時代、手回し洗濯機が開発されます。
これは、洗濯物と水を入れてふたをし、あとはハンドルを手動で回すとグルグルと洗濯物が回る、というものです。
ただ、当時はかなりの高級品で庶民が買えるものではありませんでした。
そのためあまり普及はせず・・・
また、脱水する機能は当然ありませんので、手で洗濯物をしぼる必要がありました。
それでも自分の手を痛めつけることなく洗濯物を洗うことができるようになった、という点では重要なものかもしれません。
また、今まで洗濯物をこすったりしていたものを、「回す」という概念に変えたものといえるかもしれません。
確かに・・・洗濯物が回りだしたね・・・!
下の写真は少し新しめのものだけど、だいたいこんな感じの構造と思ってもらえればいいと思うよ!
戦前の昭和「ついに電動化」
世界で初めて電気式洗濯機が発明されたのは1908年のアメリカ。
そして、1928年、ついに日本ではじめて電気式洗濯機が販売されます。
販売したのは東芝の前身である東京電機株式会社。
しかし、まだ外国製品の輸入品を販売するに留まりました。
国産第1号電気洗濯機はわずか2年後の1930年。
現在の東芝の前身である芝浦製作所が製造しました。
ちなみに東芝は芝浦製作所が東京電機株式会社を合併してできた会社です。
当時のお母さん方が目を輝かせたのが想像できますね!
しかし、当時の国産電気洗濯機の価格は1台370円。
当時の初任給が約70円だったので、今でいうと100万円以上でしょうか。
残念ながらほとんどの庶民は戦後に至るまで洗濯板を使い続けることになります。
しかし、国産電気洗濯機の歴史が始まったとても重要な出来事でした。
ついに電動化!でもなんかロボットみたいな見た目だね・・・
確かに・・・でもなんと移動も可能な洗濯機だよ!当時の最高技術だから費用もた高かったんだ!
戦後の昭和「重労働からの解放」
戦後になると、様々な電気式洗濯機が開発されます。
洗濯機の普及に火をつけたのは、やはり日本の家電メーカーの競争でした。
日立、三菱、東芝、三洋、松下・・・
現代でも有名な企業が日本人に買ってもらえる洗濯機の研究開発に乗り出したのです。
こうした競争は洗濯機の値段を下げ(それでも高いですが・・・)、急速に洗濯機を普及させました。
1962年頃には普及率が50%に到達。
この頃には遠心力を利用した脱水槽を備えた2槽式の洗濯機も発売されており、より早く衣類が乾くようになりました。
脱水がついに電動化されて日本の洗濯事情は大きく変わりました。
2槽式の洗濯機は現在でも販売されていますね。
ちなみに全自動で脱水まで行う全自動洗濯機が登場したのは1985年頃。
幕末に洗濯板が伝わってわずか120年ほどで洗濯機はここまで進化したのです。
戦後は多くの企業が競争し続けて人の生活を支えたんだね!
そうだね!どの企業もただ儲かりたいだけではなくて、人の生活に役立つことを目指していたと思うよ!
最後に
まず言っておきますが、これは「今の洗濯は楽だね!」という趣旨の記事ではありません。
今は洗濯にはそこまで時間がとられなくなったというだけ。
昔は今ほど社会が複雑ではないので、今の家事と大正時代の家事を単純に比べるのはナンセンスでしょう。
昔のインタビューなどを見ていると
「井戸端でタライと洗濯板で洗濯をし、背中の赤ん坊はギャーギャー泣き、子供たちはコブを作って帰ってきては飯はまだかと言い、夫は帰ってきては疲れたから寝ると・・・」
というものもあります。
しかし、地域で子育てをするというのが当たり前だったので、近隣で助け合うことも多かったと思います。
このような「女性が家事をする」というのが当たり前だった時代に、女性が社会進出をするための時間を作った要因の一つが電気式洗濯機ともいえるかもしれません。
昔の洗濯機の広告の文句にこのようなものがありました。
「主婦の読書時間はどうしてつくるか」
本を読む暇もないほど働き続けたお母さん方、おばあ様方に感謝を。
参考記事:東芝様HP