犬は、人類にとって最も古い友人です。
簡単な言葉であれば50から100の言葉を理解するといわれる犬は、
狩猟の時代には人間の狩りのパートナーとして
集落ができれば、侵入者を追い払う番犬として
そして、現代のストレス社会では、心を癒す家族として
1万年以上も人間とともに過ごしてきました。
にもかかわらず・・・
役に立たない死に方を「犬死に」
相手に媚びることを「尻尾を振る」
裏切られることを「飼い犬に手をかまれる」
など、あまりよくないことわざも多いですね。
犬からすれば「友じゃないのか!」と言いたくもなるでしょう。
しかし、大切にされすぎるあまり、犬も大変な目にあったことがありました。
皆さんご存じの「生類憐みの令」ですね。
今回は、この生類憐みの令がどんなものだったのか、お話ししましょう。
「犬公方」って呼ばれてたんだよね?でも大事にされてたのに迷惑だったの?
大事にされ過ぎることがいつも幸せとは限らない、ということだね
目次
生類憐みの令とは
まず、生類憐みの令について簡単にお話ししましょう。
「生類憐みの令」とは、徳川幕府第5代将軍徳川綱吉が打ち出した、生き物に関する法律や政策を総称したものです。
「生類憐みの令」という単独の法令があるわけではありません。
生類ですので、単純に犬だけを大事にするのではなく、生き物全てが対象でした。
特に犬が大事にされた、ということです。
では、中身を見ていきましょう。
困った人間たち
まずは、この「生類憐みの令」で人間側が困ったことです。
なんとなく予想はつくかと思いますが・・・振り回された人間模様をどうぞ!
鷹役人が犬小屋役人に
戦国時代頃から、飼いならした鷹で獲物を狩る「鷹狩」が流行していました。
江戸幕府を開いた徳川家康は大の鷹狩好きでした。
しかし、綱吉からすれば、鷹を使って獲物を狩るなど言語道断です。
鷹狩は禁止されました。
当時は、幕府には鷹役人という、鷹匠(鷹を扱う人)、鳥見(鷹狩の準備をする人)といった役人が居ましたが、当然、不要ですね。
削減され、犬小屋役人などに回されてしまいました。
徳川幕府始まって以来の誇りある仕事だったのに・・・
強制菜食主義
生類憐みの令のもとでは、獣の類はもちろん食べてはいけません。
そのほか、食料品のうち、鳥や魚の販売も禁止されました。
特に綱吉の側近では、どこまで食べていいのか、という問題がありました。
生類とは・・・
もし、綱吉将軍的にアウトなことがあれば、とんでもないことになります。
「鳥も魚も食べてはだめ・・・では、貝はどうなのか・・・」
「いや、危険だ、やめておこう。」
こんな会話があったかどうか不明ですが、少なくとも表面上は野菜だけを食べる、という側近が増えました。
中には、蚊やハエを殺さないようにした家もあるそうです。
街中で犬を見たら最後
特に大事にされた犬については、とにかく大変でした。
言わずもがなですが、犬を傷つけることは絶対にアウトです。
問題はここからなのです・・・
まず、傷ついた犬、病気の犬、妊娠している犬は医者に見せなければなりません。
餓えた犬はいたわって、その町で面倒を見なければなりません。
さらに、子犬は一人で出歩かせてはいけません、危ないから絶対に母犬をつけること。
え?大したことないって?
これらのことは全部野良犬にも適用されます。
当時は、現代のように家庭で犬を飼う、ということは多くありませんでした。
その町に住む犬はその町全体が飼っている、という時代です。
だから、野良犬とか飼い犬という区別があまりなかったのですね。
町全体が飼っている・・・つまり、これらに反した場合、町として処罰を受ける、ということになります。
例えば、町人が町を歩いていて、妊娠している野良犬を見つけようものなら、頭が真っ白になったでしょう。
子犬を無事出産するまで目が離せません。
しかし、無事出産したらしたで、今度はその子犬を大事に育てなければなりません。
もし母犬の体に何かあれば、子犬に何かあれば・・・町全体が処罰されるのです。
・・・かなりやばいね・・・
今見ると面白い話だけど、当時の人たちは命懸けだからね・・・本当に大変だったと思うよ
困った犬たち
これらの話を聞いて、犬は大切にされてたんでしょ?人間が大変なんでしょう?
と思いますか?
でも犬からしても大迷惑な話でした・・・
八つ当たりされる
このとおり、人にとってはかなり負担になった生類憐みの令。
しかし、人間の不満は募るばかりです。
そして、その不満は犬にもぶつけられました。
実は、犬を殺して死刑になった事件は相当数あったようです。
中には拾った子犬を捨てて死刑になった者もいるそうです。
このような者が出てくると、幕府は幕府で取り締まりを強くします。
そうなると、さらに民衆の不満がたまる、という悪循環になりました。
藪医者だらけ
先ほど、この時代、病気の犬、傷ついた犬、妊娠している犬は医者に見せる義務があった、と書きました。
とはいえ、それまでは飼い犬と野犬の区別すらもあいまいだった時代。
当然獣医などはほとんどいませんでした。
一応、幕府の御用犬医者というのが居たのですが、この御用犬医者ですら、「犬の薬」と称して
餡にした小豆と人のウンコを混ぜたものを薬として飲ませていました。
なぜか、この療法が民間でも使われ、犬が病気になると、小豆とウンコを混ぜたものを飲ませたそうです。
効いたのかどうかわかりませんが・・・
犬もたまりませんよね・・・
強制的に犬小屋に入れられる
犬があまりに過保護なため、犬を飼っていた村や町が負担軽減のため、犬を捨てることが増えました。(もちろん重罪です!)
結果的に、もともと居た野犬も含めて、江戸は野犬だらけになりました。
しかし、綱吉将軍は野犬を放ってはいられません・・・
そこで、今の東京都の中野駅あたりに、およそ16万坪の大規模な犬小屋をつくりました。
もはや小屋ではないですが・・・
野犬はそこに住むことになりましたが、連行するわけにはいきません。
もちろん駕籠で行きます。
毎日毎日、駕籠に乗せられた野犬が江戸を通りました。
この駕籠がとおると、大名行列ですら道を譲らなければなりません。生麦事件と比較しても事の重大さがわかりますよね。
しかし、この強制犬小屋政策は犬側も大変でした。
今まで、町人から残飯を与えられたり、あたりを走り回ったり、気ままな暮らしをしていたのに、毎日3合の白米、イワシ、味噌を与えられ、毎日寝ているばかり・・・
そのせいか、病気になったり、死んでしまう犬もたくさんいました。
少し憧れるけど、確かに窮屈そうだね・・・
大名行列ですら道を譲るあたりに、やりすぎ感が出てるね・・・
最後に
犬も人も振り回した、徳川綱吉将軍ですが、最期を迎えるときに、次の将軍や側近にこの生類憐みの令を続けるように命じたそうです。
しかし、綱吉将軍の死後、6代将軍家宣は直ちに行き過ぎた諸法令を廃止しました。
人間も犬もさぞほっとしたでしょう。
一つここでいわなければならないことは、綱吉将軍は決して、無能な将軍ではありません。
善政をおこなった将軍としても有名で、8代将軍の徳川吉宗は綱吉将軍を尊敬しているほどです。
また、この生類憐みの令の「生類」には人間も含まれた、ということも重要です。
当時は、食糧確保のための捨て子や、捨て老人がまだあった時代です。
ですから生類憐みの令にも何かしら思うことはあったのかもしれません。
愛犬を家族として共に過ごす現代の方には、綱吉将軍に多少共感する人も少なからずいるかもしれません。
でも犬って外を走っているときすごく楽しそうな顔をしませんか?
特に若い犬はそうですよね。
犬も人も同じ。自由気ままに過ごしたいという気持ちは同じかもしれません。
犬が幸せになるような愛情を注いであげてくださいね!