2018年、アメリカ人の宣教師ジョン・アレン・チャウが、布教に訪れた島の住人に殺されるという衝撃的な事件が起きました。
その島は北センチネル島。そしてこの島は外部との接触を嫌う「センチネル族」が住む島です。
インターネットでは「行けば命はない」「カニバリズム(人食文化)がある」などと書かれています。
なぜそのように言われるのか、なぜそうなったのか・・・今回はこの島についてまとめました。
なんだか怖いね・・・
こぶたくん・・・怖いのはよく知らないことが原因だ。少し彼らについて勉強してみよう!
目次
北センチネル島
インドの東に広がるベンガル湾。そこにアンダマン・ニコバル諸島という島々があります。
このアンダマン・ニコバル諸島は、第二次世界大戦時には日本軍が占領していたこともある地域です。
そのすぐ西に北センチネル島はあります。
インドに属する島で、面積は59㎢。大きさは東京都の大田区とほぼ同じです。
センチネル族
人口はほとんど調査できていないので不明ですが、40人程度とか言われたり、400人程度と言われたりします。
石器時代を彷彿とさせる生活、つまり、農耕ではなくを狩猟や釣りで食料を確保して生活しているようです。
もちろん電気もつかいません。火を起こして生活しています。
センチネル族はこの暮らしを数万年続けてきたと考えられています。
言語はセンチネル語ですが、インド政府ですら言語でのコミュニケーションは不可能とのことです。
外部との接触を徹底的に嫌い、インド政府も接触に非常に苦慮してきました。
インドの島なのに、インド政府が話もできないんだね
センチネル族は別に自分たちがインド国民とは思っていないからね。「インド領」というのも外界の理屈にすぎないということだよ
接触への反撃
外部の者がセンチネル族に接触を試みるなどして、攻撃を受けた例を紹介します。
ちなみにこれ以外にインド政府は1960年頃から接触を試みてきましたが、そのたびに槍と矢の雨で迎えられたそうです・・・
ヘリに矢を放つ【スマトラ沖地震】
2004年に起きたスマトラ島沖地震の際、インド政府がセンチネル族の安否確認のためヘリを飛ばしました。
しかし、センチネル族は接近してきたヘリに弓を射るて追い払おうとしたそうです。
漂着者を殺害、そしてやはりヘリに矢を放つ【漂着も許さない】
2006年、カニを密漁していたインド人が北センチネル島に漂着しましたが、センチネル族に矢を射られて殺されました。
その後、遺体回収のために派遣されたヘリにもやはり矢や投げ槍で攻撃しました。
アメリカ人宣教師の殺害【布教なんてあり得ない】
これはこの記事の冒頭の事件です。
もう少し詳しく書くと、センチネル族への布教のためにセンチネル島への接近をします。
しかし、攻撃を受けて2度失敗した後、3度目の上陸を試みた際に弓を射られた後、首に縄をかけられて殺されました。
遺体は浜辺にセンチネル族が埋葬したとのことです。
先生!やっぱり恐いよ!
お互いに知らない同士だからね。次は友好的な接触の記録を見てみよう!
唯一の友好的な接触
ここまで読めば、取り付く島もないほどに攻撃的なセンチネル族ですが、実はインド政府の接触チームが友好的に接触したことがあります。
それは1991年1月のことです。
インド政府の接触チームが、北センチネル島付近で、ココナッツを浮かべると、センチネル族が海に入り、回収を始めました。
それを繰り返していると、突如、若いセンチネル族の青年が弓を構えました。しかし、接触チームが、ココナッツを取りに来るよう呼びかけると、同じように回収に来たのです。
さらには、センチネル族の男性たちが接触チームのボートを触るなど初めて友好的な雰囲気ができました。
1か月後、再度接触チームが訪れると、今度は、なんと非武装で接触チームを迎え、接触チームのボートからココナッツを袋ごと持ち出しました。
しかしこのとき、接触チームの一人が、センチネル族の装身具に触れたことで怒りを買い、立ち去るように言われてしまいます。
3度目の接触は天候が悪く、会うことができなかったそうです。
これがセンチネル族と唯一友好的に会えた記録なのです。
食べ物をもらえて嬉しかったのかな?
それでもいいんだよ。大事なことは、センチネル族が初めて外部と友好的に接触した、ということだ!
食べ物がもらえるなら、これからは外部と交流しよう!って考えない??
実は、センチネル族が外界と接触を断つ原因の一つと考えられる事件があるんだ
拉致されたセンチネル族
センチネル族のように、外部との接触を断つ部族は知られている限りほとんどおらず、さらにコミュニケーションすら取れない部族は他にいないと言われています。
なぜ彼らはここまで接触をかたくなに拒否するのでしょう。
一つ、興味深い事件があります。
1880年、センチネル島等付近一帯を支配していたのは、イギリスでした。
ある日、イギリスはセンチネル族を約10人拉致して島外に出たうえ、うち何名かが死んでしまうという事件がありました。
このことが、センチネル族の警戒心を高め、現在のように外部に対して攻撃的になったのではないか、と考えられています。
なんてひどいことを・・・
当時は、世界中で侵略や植民地化が絶えなかったんだ。でもそんな事件があったら関わりたくないと思っても無理はない!
最後に
1991年の友好的な接触後、インド政府はセンチネル族への接触をやめます。
現在、インド政府は、北センチネル島の半径5キロへの侵入を禁止しており、近付く者がいないかを監視しているとのことです。
これは、近付く者が攻撃されないようにするためでもありますが、様々な病気への免疫が少ないと考えられるセンチネル族の健康を守るためでもあります。
また、接触チームの証言でもカニバリズム(食人文化)に言及されているところはなく、デマだと考えられます。
インドは約100年に渡りイギリスの植民地でした。
そのような経験を持つインドだからこそ、センチネル族に文明を押し付けず、その生活を見守ることを選んだのではないかと思います。
アメリカ宣教師の事件の後、興味本位で近づく旅行者もいるそうです。
インド政府の方針とセンチネル族の意思を尊重し、軽はずみな行動がないようにして欲しいと思います。