北方領土をめぐる歴史

みなさんは北方領土についてどの程度知っていますか?
「めちゃくちゃ詳しい!」という方もいれば、「ロシアともめてるとこでしょ?」ぐらいの人もいるでしょう。
「北方領土は日本の領土だ!」というのは簡単ですが、歴史上の経緯を理解することも大事です。
そして、もっと自分なりの解釈をして意見を持てるようにしたいですね!
こぶた
確かに領土問題があるのは知ってるけど、もめてる理由までは詳しくないかも・・・
ぶたちく先生
そういう人は少なくないと思うよ。それではまず、北方領土がどんな島か見てみよう!

そもそも北方領土とは

北方領土は北海道本土の東側にある島々です。
構成する島と名前を表にするとこんな感じになります。
名前
面積
比較
歯舞群島
95 ㎢
小笠原諸島(104 ㎢ )と同程度。
色丹島
251 ㎢
島根県隠岐本島(242 ㎢ )より大きい。
国後島
1,490 ㎢
沖縄本島(1,207 ㎢ )より大きい。
択捉島
3,168 ㎢
鳥取県(3,507 ㎢ )と同程度。
合計
5,003 ㎢
福岡県(4,986 ㎢ )より大きい。
島とはいえ、かなり大きいですよね。
本土(本州・四国・九州・北海道・沖縄本島)を除いた場合の日本の島ランキングでは、
1位が択捉島、2位が国後島となります。
島の領有権の争いではありますが、日本にとっては、大きさ的にも重要な島だと言えます。
一番東側にある択捉島の先には得撫(うるっぷ)島から始まる千島列島が連なり、ロシアのカムチャッカ半島の手前の占守(しゅむしゅ)島まで続きます。
もちろん、先住民はアイヌです。日本人が北海道に進出したのは、12世紀頃で、当時からアイヌ民族とは交易や争いも多くありました。
16世紀末からは蠣崎氏が豊臣秀吉や徳川幕府から蝦夷地の支配を認められています。
しかし、現在の北方領土問題においては、日露間の外交・戦争が大きな問題になっているのです。
こぶた
こんなに大きいとは知らなかったよ!
ぶたちく先生
日本で1位と2位の広さだからね!次は北方領土をめぐる歴史を見てみよう。

北方領土をめぐる外交

北方領土をめぐり、日本とロシアは江戸時代から交渉を繰り返してきました。
時系列で整理してみましょう。

日魯通好条約(1855年)

江戸末期、ペリーが日本にやってきた2年後のできごとです。
日本とロシアは、伊豆で話し合い、国境を次のように定めます。
「日本とロシアとの国境を択捉島(えとろふ)と得撫島(うるっぷ)の間とする」
つまり、択捉島までが日本領で得撫島からはロシア領だよ、という取り決めです。
地図ではこのような状態になります。
引用:外務省HP

樺太千島交換条約(1875年)

日本とロシアの間には、もう一つ決めなくてはならない国境がありました。
それは樺太(からふと)です。
樺太は北海道の北にあるこれもまた非常に大きな島です。
前回の日魯通好条約では、樺太に関しては、特に国境を定めませんでした。
そのため、樺太でいざこざが何度も起きていたのです。
日魯通好条約から20年後、次はロシアの当時の首都サンクトペテルブルグで条約が締結されました。
内容は「樺太は全部ロシア領、千島列島は全部日本領」というものです。
つまり、択捉島の先、得撫島からカムチャッカ半島の手前にある占守島(しゅむしゅ)までの全ての千島列島の支配権を日本が得たのです。
引用:外務省HP
こぶた
平和的に話し合いをしてきたんだね!
ぶたちく先生
ここまでは少なくとも戦争にはならなかった。だがそうはいかなかったのだ・・・

日本とロシア間の戦争

樺太千島交換条約までは、話し合いで取り決めをしていました。
しかし、日本とロシアは戦争をしてしまいます。

ポーツマス条約(1905年)

1904年、日露戦争が起きてしまいます。
結果として、日本は勝利をおさめ、アメリカのポーツマスで講和条約を結びます。
条約の内容のうち、北方領土関連の部分は、「樺太の南半分を日本が譲り受ける」というものです。
北方領土及び千島列島については、変更点がありませんでした。
引用:外務省HP

第二次世界大戦末期(1945年)

1939年、第二次世界大戦がはじまります。
ここまでに、ロシアでは政変が起こり、「ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)」へと変わっています。
日本はアメリカ、イギリスと戦争状態になる前に日ソ中立条約を締結していたため、当初は日本とソ連は戦争状態にはなりませんでした。
その後、日本はアメリカ、イギリスと交戦状態になり、当初は互角以上の戦いをしますが、次第に敗色が強まっていきます。
1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下され、さらに長崎に原子爆弾が投下された8月9日のことです。
ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本の満州に攻撃を開始したのです。
1945年8月14日、日本は無条件降伏を連合国側に通知します。
しかし、ソ連は侵攻をやめませんでした。
1945年8月18日からは、ソ連は千島列島にも侵攻を開始しました。当初は日本軍も抵抗します。
さらに、その後、日本軍に武装解除の命令が出て、無抵抗となってもソ連は日本への攻撃を続けました。
ソ連が最後の島である歯舞諸島を占領したのは9月5日。東京湾上に浮かぶアメリカ海軍の戦艦ミズーリ号で行われた、ポツダム宣言の受諾文書への調印式から3日後のことでした。
この時からソ連は北方領土を占拠し、現在に至るのです。なお、ソ連は北方領土に居住する日本人1万7千人を追い出しました。
こぶた
降伏してるのに攻撃を続けるなんて・・・
ぶたちく先生
ロシアは現在も戦争で勝ち取ったロシアの領土だと主張しているんだ・・・

最後に

いかがだったでしょうか。
領土問題が発生するまでの経緯は以上のような形です。
皆さんの知識の整理に役立てば幸いです。
この後、日本とソ連(ロシア)との戦後処理交渉や返還交渉が始まっていきます。
次は双方の言い分や、交渉史について記載したいと思います!
(参考)