地政学から国を知ろう・日本編②~大きな悲しみと刻まれた教訓、占領された日本~

日本の歴史・太平洋戦争終結まで

明治維新まで、日本はほとんど外国との戦争がありませんでした。

しかし、私たちは明治から昭和20年まで日本がたくさん戦争したことを学びますよね?

どうして急に戦争をするようになったのでしょう?

事情が変わってくる

明治維新があった19世紀、世界は帝国主義の時代でした。
日本にとっての最初の転機は、ロシアのアジアにおける南下政策です。
ロシアという国の最大の問題点は「不凍港」の確保です。
広大な国土を有するロシア。
しかし、その港のほとんどは冬は凍ってしまい使い物にならないのです。
特に当時は軍艦での戦いが本格的になってきた頃です。
大きな戦争が起きた時に「港が凍って船が出せません!」では話になりません。
ロシアは不凍港を得るため清(中国)、朝鮮半島を支配すべく南下を開始します。
朝鮮半島までロシアが支配した場合、日本は一気に目と鼻の先・・・
そうなるとロシアの次のターゲットは隣国でもある日本になります。
ロシアに取られる前に取らねばなりませんが、当時の朝鮮は清の属国です。
そこで日本は朝鮮を支配下にすべく、清と激突することを選ぶのです。
こうして起きたのが日清戦争です。
ぶたちく先生
もちろん戦争の理由はこれだけではない。今回はあくまで地政学という観点であることを忘れないでね!

日露戦争から韓国併合

日清戦争のあと、日本は清の遼東半島(りょうとうはんとう)の割譲を受けます。
しかし、日清戦争は裏では日露間での朝鮮半島の取り合いでもあるのです。
ロシアは遼東半島の割譲に対してドイツ・フランスと連携して日本に遼東半島を手放させます。(三国干渉)
ドイツとフランスはこれに参加することで別にメリットがあったのです。
こうして日露間の緊張が高まる中、日本はイギリスと同盟を結びます。(日英同盟)
イギリスは中国とインドに対して大きな権益を持っていたので、ロシアの南下政策に対する脅威が日本と一致したのです。
こうして、日露戦争が勃発しますが、日本は辛くも勝利することができます。
こうして、ロシアとの朝鮮の取り合いに勝った日本は、この後韓国を併合し、大陸での拠点を手に入れることに成功します。
こぶた
こうして見ると、正義とか悪とかじゃなくて、どの国もあくまで自国の利益を考えて行動していることがわかるね・・・

第一次世界大戦

そんな中、世界中を巻き込む大事件が発生します。
サラエボ事件をきっかけとして起きた第一次世界大戦です。
日本人にとって、第二次世界大戦に比べて印象の小さい第一次世界大戦・・・
しかし、この戦争は20世紀において第二次世界大戦と同じぐらい重要です。
第一次世界大戦の主戦場は日本から遠く離れたヨーロッパ。
日本はイギリスの同盟国としてドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦に参戦します。
いや、日本は参戦したかったのです。
それは、ドイツが持つ中国の権益が狙いでした。
もともと中国の権益はヨーロッパ中の国が狙っていました。
しかし、戦争の勃発でヨーロッパは中国どころではなくなり、そのスキを日本が見逃さなかったのです。
日本は中国に対し21か条に及ぶ要求を行い、ドイツの権益を引き継ぐなど中国における拡大に成功するのです。
さらに、戦後、戦勝国の一角となった日本は、ドイツが支配していたパラオやマーシャル諸島などの南洋諸島を実質的な植民地とします。
こうして、日本は第一次世界大戦で中国と太平洋での存在感を大きく高め、世界有数の大国へと躍進することになります。
ぶたちく先生
もともとは対ソ連という目的での朝鮮半島進出だったんだけど・・・いろいろなことがうまく運び過ぎた感はあるね

超大国アメリカ現れる

勢力を一気に拡大した日本。
第一次世界大戦で疲れ切ったヨーロッパには中国、日本に目を向ける余裕はありません。
しかし、日本の躍進をよく思わない国が登場するのです。
それがアメリカ合衆国。
アメリカも第一次世界大戦で被害をほとんど受けなかった国です。
そして、太平洋における勢力拡大を目指していたアメリカにとって、日本はとても邪魔な国でした。
第一次世界大戦後にアメリカが主導したワシントン会議で日本にとって大きな打撃を受けます。
1つは日英同盟の破棄
もう1つは主力艦保有率をアメリカの6割と定められたこと。
この条件を飲むことは第一次世界大戦後の平和を望む世論や、アメリカとの圧倒的な軍事力の差からやむをえないものでした。
これ以降、日本は孤立の道を進むことになります。
こぶた
味方らしい味方が居なくなってしまったね・・・

火種を炎に変えた世界恐慌

第一次世界大戦後くすぶっていた世界中の戦争の火種。
それが一気に発火する事件が起きます。
それは、1929年10月24日「暗黒の木曜日」と言われたアメリカ株式市場の大暴落がきっかけで起きた世界恐慌です。
言葉にすると「経済不況か・・・」みたいな感じですが、世界のGDPが15%減少、アメリカの失業率が23%まで上がった猛烈な大不況です。
これがなぜ、火種の発火につながったのでしょう?
それは不況対策で英米仏が行ったブロック経済です。
これは、自国の保護のために、自国や自国の植民地だけで経済圏を作り、その経済圏では関税の切り下げなどで通商の活性化を図ることです。
一方、経済圏の外にいる国に対しては高関税を課す保護貿易なのです。
つまり、経済圏を形成できるだけの植民地を持たない国はさらなる苦境に陥ります。
そして、その経済圏を形成できない国が日・独・伊でした。
この3か国聞き覚えがありませんか?
そう、第二次世界大戦の枢軸国です。
これらの国は苦境を打開するため、軍事侵攻によって突破口を見つけようとします。

こうして、日本は進出先として、中国・満州を選んだのです。

ぶたちく先生
特にドイツは第一次世界大戦で巨額の賠償金も背負っていたから、国民の不満も凄まじかった。ナチスが台頭した原因にもなったんだよ!

満州は日本の生命線

満州は日本にとって新たな市場であり、石炭や鉄鉱石などの産出なども期待できる土地でした。
満州事変を経て、清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀(あいしんかぐらふぎ)を担いで満州国を建国します。
もちろん、国際社会は黙っていません。
リットン調査団などを派遣され、国際連盟で満州からの撤兵を要求された日本。
こうして、日本は国際連盟を脱退し、さらなる孤立へと進みます。
日本はさらに勢力圏を広げようとし、ついに日中戦争が起きます。
この日中戦争は単純な日本と中国の戦争ではありません。
日本の中国進出を望まないソ連、太平洋での日本の進出を望まないアメリカが中国をバックアップしたのです。
さらに興味深いことに、当時の中国は国民党と共産党の争いもあったので、これも米ソの関与に無関係ではないでしょう。
日中戦争の長期化で物資の確保に苦労している日本に対し、中国が戦争を維持できているのは米ソの補給のため。
そこで日本は補給路を断ち、資源を確保するとの目的で、フランス領のインドシナ半島に進駐します。
フランス領インドシナは、現在のベトナム、ラオス、カンボジアにあたります。
これが1940年、太平洋戦争開戦の前年のことです。
こぶた
資源を求めて戦争。そして敵を作るという悪循環だね・・・

太平洋戦争での敗北

日本のインドシナ進駐はアメリカの刺激に十分な出来事でした。
アメリカは対日本の石油輸出禁止を行い、中国、インドシナ、満州からの撤退を通告
この通告に対する交渉は決裂します。
そして1941年、日本はアメリカについに宣戦布告します。
真珠湾を攻撃後もアメリカを相手に奮戦するものの、開戦から半年後のミッドウェー海戦で敗北してからは守勢一辺倒になります。
さらに、サイパン島が陥落してからは、サイパンを拠点としたB29が日本まで飛んできて空襲を繰り返す日々。
日本軍も日本国民もこの苦しい状況の中、3年間も耐え続けました。
しかし、広島・長崎に原子爆弾を投下されるなど、取り返しのつかない損害を被り、ついに降伏することを選ぶのです。
長らく海に守られながら勇敢に戦い、独立を保ってきた日本は、初めて敗北し、アメリカに占領されることになります。
ぶたちく先生
日本国民としてもこの時代の歴史を学ぶのは辛いね・・・でも色々な時代を経て今の日本があるということを忘れないようにしようね!

地政学からみた日本の第二次世界大戦

大陸方面での力を持つことを「ランドパワー」といいます。
ランドパワーの国は、例えばロシアや中国などが挙げられます。
地政学では、シーパワーとランドパワーを両立させるのは非常に難しいとされています。
それは、ランドパワーを持つためには、陸上で接する国に対抗するための陸軍力を持つ必要があるからです。
日本はシーパワーの国として、高い海軍力は既に持っていました。
しかし、海軍力と陸軍力を両立させるためには多大なコストがかかってしまいます。
日本は第二次世界大戦においてランドパワーで中国と交戦し、シーパワーで米英と交戦するという非常に困難な戦いを行いました。
これが、まず地政学上のセオリーに大きく反してしまいます。
さらに前回述べた通り、日本には何もない。
それは、ブロック経済で日本を締め出しても、英米仏は困らないことを意味します。
だって、日本から買わないといけないものがないのですから・・・
極めつけは、産業革命の重要な要素であった、化石燃料、鉄鉱石、ゴムがとれない。
特攻隊の飛行機のタイヤが離陸時に外れるようにするなど、本当に悲しい話もあります。
つまり、「日本の孤立=軍事侵攻による植民地の確保が必要」という方程式があったのです。
もちろん、日本だって望んで米英中ソと交戦したわけではないでしょう。
ここで述べた話では当然のように戦争に向かっていますが、日本の政治家、日本国民も戦争を望まない人も本当にたくさんいたのです。
望んで参戦した第一次世界大戦に比べ、第二次世界大戦は、避けたかったけど避けられなかった戦争だったのです。
こぶた
第二次世界大戦についてはいろんな思いがあるけど、今の平和が本当にありがたく感じるよ・・・
ぶたちく先生
少し怖い言い方になるけど、次回は現代の日本の立ち位置の難しさについてのお話しだよ!