あなたならどうする?「荒木村重」~妻子も家臣も見捨てた男~

太刀を引き抜いた信長は、手近にあった「おまんじゅう」をその太刀で貫き、目の前の男に突きつけました。
すると男は、平然と口を開け、そのおまんじゅうを食べ始めたのです。
その男の名前こそ今回取り上げる「荒木村重」
裏切りと策謀の末に信長に抜擢されながら、最終的に信じられない裏切りを起こした人物のお話です。
こぶた
人のおまんじゅうを食べちゃダメってことだね?
ぶたちく先生
まぁそれはそうだよね・・・

荒木村重という人物

荒木村重は、摂津池田氏の家臣の嫡男として生まれます。
村重も摂津池田氏の家臣となるも、主君である池田氏を裏切り、三好家に寝返ります。
そのころ、「おまんじゅう事件」が起こり、織田信長に気に入られ、織田家に移ることになったのです。
織田家に移った村重は武功を重ねていきます。
そして、1574年には摂津国を与えられることになったのです。
摂津国は現在の大阪市から神戸市にかけての一帯で、非常に重要な拠点を任されていたと言えます。
また、もともとの主君であった池田氏が村重の家臣になるという、下剋上を成し遂げた人物でもあります。
その後も活躍し、伊丹城を「有岡城」と改称、有岡城を中心とした摂津国の支配体制を確立するのです。
こぶた
戦国っぽい生きざまだね!
ぶたちく先生
しかしこの後とんでもない事件が起こるんだ!

突然の謀反

このまま、信長の重臣として戦国時代を突っ走るかと思われていたころでしょうか。
信長から秀吉の援軍を命じられた村重は、出兵せず有岡城に立てこもります。
これには信長もビックリ!
今まで怒涛の勢いで活躍し、信頼していた部下が急に命令を無視したら皆さんでもこうなりますよね。
普段の信長であればすぐさま討伐・・・でもおかしくないですが、この時は使者を向かわせ、村重に翻意するよう説得します。
信長は、
村重の母を人質として出すこと
信長のいる安土城に弁明に来ること
で不問にする、という非常に寛大な方法を提案するのです。
村重は、承諾します。
しかし、安土城に向かう道中で家臣の中川清秀が「信長は裏切りを許さない」といい、結局安土城にはいきませんでした。
信長はあきらめず、度々使者を向かわせるものの、村重はことごとく使者を追い返し、黒田官兵衛が説得に来た時には、なんと官兵衛を捕らえて幽閉していまうのです。
こぶた
どうして急に謀反を起こしたんだろう??
ぶたちく先生
実は明確な理由は今でもわかっていないんだ!

有岡城包囲

ついに信長の堪忍袋の緒が切れます。
信長の大軍が有岡城を包囲。
しかし、村重は何とか持ちこたえます。
持ちこたえることなんと1年。
包囲されているものの、信長と敵対していた石山本願寺や毛利家からの援助があり、兵糧も持ちこたえていたのです。
しかし、それもついに限界に。
さらに信長は、村重の重臣である高山右近と中川清秀に工作し両者は寝返ります。
窮地に陥る村重。
しかしながら、村重は、そのような状況でも、明智家出身である嫡男の正室を実家に送り返したり、裏切った高山右近の親族も危害を加えず解放するなど、矜持を示します。
こぶた
覚悟しないといけない場面なんだね・・・
ぶたちく先生
しかしだ!ここで村重は驚きの行動に出るんだ!

突然の逃走

その日は突然やってきました。
なんと村重が突然逃亡したのです。
しかも大切な茶道具と妾だけを連れて、重臣や家族にも何も言わず・・・
直前まで村重は「打って出て退却しながら、助命の交渉をしよう」と家臣と話していたのに、急に単身で逃げたので、有岡城内も呆然とします。
このとき村重は尼崎城へ向かいます。
村重が尼崎城に向かったのは、援軍要請のためだったとも考えられていますが、それでも残された有岡城の家臣たちはたまりません。
信長は有岡城に総攻撃を開始。
城主のいない有岡城はいとも簡単に陥落します。城内を逃げ惑う老若男女を織田軍は容赦なく斬り殺していきます。
そしてついに本丸も陥落。本丸には荒木一族や重臣の家族たちがいました。
信長は、有岡城を村重に代わって守備することになった村重の家臣に
「尼崎城と花隈城(神戸市)を明け渡せば妻子を助ける」
と約束します。
家臣たちは祈るような思いで尼崎城に向かいますが、村重はこれを拒否。
さらに、交渉に向かった重臣たちも、有岡城で待つ家族を捨てて逃げてしまったのです。
本丸で待つ家族たちは心が壊れるほどショックを受けます。
その姿をみて織田軍ですら不憫に思い涙をながした者もいたそうです。
こぶた
一人だけ逃げるなんて・・・
ぶたちく先生
こうなってしまったら、もうどうしようもない・・・しかも相手は信長だ・・・

地獄絵図

地獄はさらに続きます。

荒木一族

荒木一族は有岡城から京都まで連行され、京都の妙顕寺(京都市)に投獄されます。
そして、日付が決められ、京都の六条河原刑場にて処刑されることになります。
六条河原へ向かう途中、荒木一族の面々は取り乱さず、凛としていました。
特に逃げた村重の妻は最後の時まで顔色ひとつ変えず、見事に首を討たれたといいます。
さらに、交渉に行ってそのまま逃げた家臣の8歳の息子は静かに座り、首を差し出したと言います。
村重に見せてやりたい見事な最期ですね・・・

その他の人質・磔刑

その他の人質たち600名程度は、村重のいる尼崎城から見える位置まで連行されます。
そこで122本もの磔柱が立てられ、女性たちが磔にされました
女性の中には子供を抱いたまま磔にされた者もいたそうです。
そして刑が執行されると、一斉に槍で十数回も突かれ、最後にとどめに喉に槍を刺され、絶命していきました。

その他の人質・火刑

さらに残った500人ぐらいの人質は、近くの民家にぎゅうぎゅうに押し込められます。
そして閉じ込められると、その家の周りに枯れ草などを積み上げる・・・
そして人質たちは気づくのです。
火をかけられる。
人質たちは必死に暴れ、泣き叫びますが、織田軍はためらいもなく火をつけました。
その遺体は埋葬さえされず、犬や鳥が死体を食い破ったと言います。
尼崎の村重はどんな思いでそれをみたのでしょうか。
こぶた
なんてひどいことを・・・!!
ぶたちく先生
戦国時代とは言え、あまりに惨いね・・・

最後に

このような状況になりながらも、村重は生き延びます
本能寺の変で信長が死亡した後は、茶人として復帰、千利休とも親交をもちました。
実は村重が謀反をした理由は未だに特定できていません。
そこまでの理由だったのかどうかもわかりません・・・
現代の私たちはこの状況を想像が難しいですが、少なくとも自分の妻子を残して逃げる、という発想はできないかなと考えてしまいました。