「イスラエル」という国があることを御存じでしょうか?
多くの日本人にとっては「聞いたことはあるけど、なんだかややこしい国」という感じではないでしょうか?
イスラエルはユダヤ人が作った国で、地中海の東岸に位置する国で、エジプト、レバノン、シリア、ヨルダンといった国々と隣接しています。
ユダヤ人とは、ユダヤ教を信仰している人だと考えてください。
(ユダヤという土地の人々と考えると、一気にわからなくなります・・・)
さらに「パレスチナ自治政府」が存在します。「パレスチナ」という名前も聞いたことありますよね?
イスラエルもパレスチナも先日書いた「死海」に面しています。
なんだかんだとよくわからない「イスラエル」という国、実は今もパレスチナ自治政府とは紛争が起きています。
怖いですね・・・
今回から、イスラエルやパレスチナに焦点を当て、どんな問題が起きているのか、何が起きているのか、過去に何があったのかについて、ご説明しましょう。
第1回目の今回は、「ユダヤ人1900年の放浪とイスラエル建国の悲願」です!
初めての長編だね!イスラエルか・・・ほんとに名前は聞くけどあんまりよくわからないよ!
気合は十分だ!さっそく順番に説明していくよ!
目次
最大の都市「エルサレム」
首都であって、首都でない
まず、イスラエルを理解するうえで、イスラエル最大の都市「エルサレム」について知る必要があります。
エルサレムは、イスラエル中部、死海の西側に存在する都市です。
イスラエルはこのエルサレムを「首都」だと宣言していますが、実は国際社会は首都だとは認めていません・・・イスラエルの首都は「テルアビブ」という都市だと国際社会はみなしているのです。
「みなしているって・・・」はい、意味わかりませんよね。
例えば「日本の首都は東京です!」と日本人が言うのに、外国の人が「いや、日本の首都は大阪だろ」っていう感じでしょうか。
実はエルサレムという都市は、非常に重要な都市なのです
エルサレムはなぜ重要か
エルサレムが世界中で重要だとされるのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地がこのエルサレムにあるからです。
「聖地」とは宗教的に非常に重要な場所、ぐらいに考えてください。
しかし、聖地というものは、それぞれの信仰者にとって、とてもとても大切な場所なのです。
彼らは「この地を守るためなら戦争も辞さない!」と考えています。
そして、ユダヤ教徒、キリスト教徒そしてイスラム教徒だけで地球の半数以上の人々を占めています。
イスラエルを作ったユダヤ教徒はエルサレムを首都としたいのですが、歴史的経緯から、それを認めた場合に、キリスト教徒やイスラム教徒が激怒する可能性があるのです。
そうした争いを避けるために、国際社会はエルサレムを首都とはしないようにしているのです。
なんで3つの宗教の聖地が同じ場所にあるんだろう?
その話はとてもながくなるから、また別の機会に話すとしよう
イスラエルの建国まで(迫害の歴史)
①ローマ帝国に追放される
現在のイスラエル、パレスチナ自治区及びヨルダンの一部をパレスチナ地方といいます。
パレスチナ自治政府、パレスチナ人など、ややこしいですが・・・そういう地域があると思ってください。
このパレスチナ地方にいたユダヤ人が西暦66年に地域を支配していたローマ帝国に反乱を起こします。
そもそもこの地はユダヤの地、とユダヤ人は考えているからですね。
これを第一次ユダヤ戦争といいます。
しかし、ユダヤ人は敗北し、エルサレムにあった神殿は壊されました。
ユダヤ人はローマ帝国から追い出されてしまいます。
②キリスト教徒から迫害される
ローマ帝国により、追放されたユダヤ人は、ヨーロッパ、中東、北アフリカなどに離散します。
そこでもユダヤ教徒は迫害を受けることになります。
特にキリスト教徒は、
「イエス・キリストが処刑されたのは、ユダヤ人がイエスを反逆者としてローマ帝国に渡したからだ」
としています。
転じて、「ユダヤ人はイエス・キリストを処刑した」としてすさまじい敵意を持っているのです。
特に、12世紀頃からは、キリスト教徒が熱狂的になり、次のような迫害がありました。
・キリスト教徒とユダヤ人の交流禁止
・農工業からのユダヤ人の締め出し。
・「ゲットー」と呼ばれるユダヤ人の隔離居住区
ユダヤ人は負けじと、金融や商売で存在感を強めるものも現れますが、そうしたことがさらなる反感を買い、迫害は続きました。
③独立を志す
キリスト教徒の急増により、ヨーロッパ中で反ユダヤ感情が高まりました。
ユダヤ人は「どこに行っても迫害を受ける。これは自分たちの国を作るしかない!」と考えます。
合言葉は「シオンの丘(エルサレムの南東の山)に帰ろう」ということで、このような考え方を「シオニズム」といいます。
そして、1897年、スイスのバーゼルでユダヤ人が集まり、「第1回シオニスト会議」が行われました。
そして、その会議で「パレスチナにユダヤ人国家を建設する」ことが決議されたのです。
④イギリスの大失敗
1914年、第一次世界大戦が起こります。
このとき、イギリスはとても余計なことをしてしまいます。
16世紀以降、パレスチナの地は、オスマン帝国が支配していました。第一次世界大戦でオスマン帝国は敗れたため、以降パレスチナの地はイギリスが統治することになりました。
非常に過酷な大戦時に、イギリスは戦費調達のため、ユダヤ人であるロスチャイルド家と約束をします。
「ユダヤ人の国家をパレスチナに作るよ!」(バルフォア宣言)
これだけなら単にユダヤ人に肩入れしてるなーぐらいなのですが、実はアラブ人に対して、パレスチナの独立承認を約束していたのです。
さらにフランスとは、パレスチナを2分割しようという約束までしていました。
呆れてしまいますね・・・
このことが原因で、またユダヤ人とパレスチナ人で衝突がおこります。
第二次世界大戦後、イギリスは、パレスチナを解決できなくなり、国連に解決をゆだねます。
そして1947年、国連で「パレスチナ分割決議」が採択され、その結果、1948年5月14日、ユダヤ人はイスラエル国の独立を宣言します。
それはローマ帝国に追放されてから、約1900年の時を超えた悲願でした。
しかし、まだまだ、こここからが苦難の道だったのです。
イギリス・・・なんて無責任な・・・
当時は戦時中で気持ちはわからなくはないが、それでも振り回された人たちがかわいそうだ!
最後に
いかがでしたか?
まずはイスラエルの成立までをユダヤ人の動きを追いながら記事にしてみました。
次回記事は続きになります。
ぜひまた読んでください!